日本記録にも迫る、圧倒的な存在感。
ハードル界のスター、村竹ラシッド選手。
あの力強いハードリングは、一体いつ、どこで磨かれたのでしょうか?
「学生時代は、どんな選手だったんだろう?」 「どんな学校で、才能を伸ばしてきたの?」
ファンなら誰もが気になる、彼のルーツ。
この記事では、村竹ラシッド選手の原点である「学歴」にスポットライトを当てます。
陸上を始めた小学校時代から、 才能が花開いた中学・高校時代。
そして、日本のトップ選手へと飛躍を遂げた順天堂大学時代まで。
確かな情報だけを元に、彼が駆け抜けてきた輝かしい道のりを、一つひとつ丁寧に振り返っていきます。
ぜひ最後までお読みいただき、この記事が皆様にとって価値ある情報となれば幸いです。
村竹ラシッド選手のプロフィール

項目 | 内容 |
名前 | 村竹 ラシッド(むらたけ らっしど) |
生年月日 | 2002年2月6日(23歳 ※2025年時点) |
出身地 | 千葉県松戸市 |
身長 | 179cm |
専門種目 | 110mハードル |
所属 | JAL(日本航空) ※2024年4月入社 |
自己ベスト | 12秒92 (日本記録)※2025年8月16日樹立 |
主な実績 | ・2025年 日本記録樹立(日本人初の12秒台) ・2024年 パリオリンピック 5位入賞(日本人初の決勝進出) |
競技開始のきっかけ | 小学校5年生の時、担任の先生の勧め |
村竹ラシッド選手の学歴は!?
村竹ラシッド選手の学歴|小学校

パリ五輪を終えた2024年10月、母校であるこの小学校を訪れました。
後輩たちに送ったメッセージは、
「好きなものを大切に」
自身のスタート地点となった場所で、子どもたちに夢を持つことの素晴らしさを伝えています。
陸上を始めたのは、小学5年生のとき。
きっかけは、担任の先生からの、ふとした一言でした。
「やってみないか?」
この言葉で走り始めた少年は、やがてその楽しさに夢中になります。
この時期に培われた基礎体力とリズム感が、後の美しいハードリングへと繋がっていくのです。
村竹ラシッド選手の学歴|中学校

この中学校時代に、彼の運命を決定づける種目、「ハードル」と出会います。
走る力と、跳ぶ力。
この2つを融合させる動きに、彼は大きな手応えを感じ始めました。
本人もインタビューで、 「中学1年生の夏にハードルを本格化した」 と語っています。
先輩からの助言や顧問の先生からの後押しもあり、ハードルを自分の専門種目にすると決断。
この選択が、後の大きな飛躍への、そして世界へと続く道への、力強い第一歩となったのです。
村竹ラシッド選手の学歴|高校

2019年の沖縄インターハイで飛躍しました。
決勝の舞台で見事14秒04をマークし、高校日本一の座に輝きました。
実は前年の大会では、ハードルに足を引っかけ、悔しい思いをしています。 その雪辱を果たす、まさに執念の優勝でした。
地区予選の南関東大会では、高校歴代3位タイとなる13秒91という驚異的な記録も樹立。
スタートからの鋭い加速と、美しいハードリングのリズムは、この頃から際立っていました。
村竹ラシッド選手の学歴|大学

その才能を完全に開花させたのが、陸上の名門・順天堂大学でした。
スポーツ健康科学部に在籍し、学生最高峰の舞台である日本インカレで次々とタイトルを獲得。
そして2023年、熊谷の競技場で叩き出したタイムは**「13秒04」**。 ついに日本記録に肩を並べる、圧巻の走りを見せつけました。
大学4年時には世界を舞台に戦いながら、国内でも安定した強さを発揮。
順天堂大学には、強化委員長を務める山崎一彦教授をはじめ、最高の指導者がいます。
さらに、同じ種目の偉大な先輩である泉谷駿介選手らと日々練習を共にできる環境。
この高いレベルでの切磋琢磨が、世界基準のスピードとリズムを育んだのですね。
卒業後はJALに入社し、プロのアスリートとして新たなステージへ進みました。
【恩師の言葉】村竹ラシッドを成長させた指導者たち
村竹選手の成長の陰には、常に指導者の存在がありました。
順天堂大学の山崎一彦教授が整えた、世界を目指せる最高の環境。
ライバルであり、目標でもあるチームメイトとの出会いが、彼を大きく成長させました。
また、高校時代に味わった一度の敗北。
「(ハードルに)当たった後に諦めてしまったのが悔しかった」
その悔しさをバネに、翌年日本一を掴み取った精神力。
技術だけでなく、逆境に打ち勝つ強いメンタリティも、恩師たちの指導の中で育まれていったのです。
まとめ:村竹ラシッド選手の学歴は!?
まとめとして、村竹ラシッド選手の成長の軌跡をまとめます。
小・中学時代:小5で陸上を始め、中学でハードルと運命的に出会う。現在の美しいフォームの基礎を築いた大切な時期
松戸国際高校時代:インターハイ優勝を果たし、全国区の選手へ。悔しさを力に変える精神的な強さを確立
順天堂大学時代:名門大学で才能が完全に開花。日本記録に並び、世界と戦うトップアスリートへと飛躍を遂げた。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
この記事が少しでもお役に立てれば幸いです。
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